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コラム

漁師だけが手にするお礼

2020.09.25

取材で漁船に乗るとほぼ必ず飾られているのが、善寳寺の大漁旗。山形県鶴岡市にある曹洞宗のこのお寺は、山形県のみならず、東日本の全域から漁業者が参拝に訪れます。現地を訪ね、篤い信仰を集めている理由について探りました。

東の善寳寺、西の金比羅山

「善寳寺の前身となる龍華寺は、平安時代の「法華験記」や「今昔物語集」にも記されている古寺です。創設は天慶から天暦年間(938~957年)頃、妙達上人(みょうたつしょうにん)という高僧がこの地に草庵を結んだのが始まりとされます。そしてその後、室町時代に曹洞宗の太年浄椿(たいねんじょうちん)禅師によって伽藍が整備され、寺号も龍澤山・善寳寺に改められました」。

善寳寺で広報を担当している篠崎英治さんが、寺のあらましについて教えてくれました。

龍はヨーロッパでは悪者とされてきたのに対し、東洋では古くから水の象徴とされてきました。中国では「雨を降らせる=農業をコントロールする権力の象徴」として皇帝のシンボルにもなっており、ここ日本でも、氵に龍と書くと「瀧」となるように、龍は水を司る神様。日照りの時に雨乞いを祈って善寳寺を訪れる農民も多かったそうです」。

篠崎さんの説明を聴きながら私は、そういえばスタジオジブリの映画「千と千尋の神隠し」でも琥珀川の神「ハク」は龍の姿をしていたな、と思い出しました。

「ここ善寳寺が『海の神』として信仰を集めるようになったのは江戸時代末期、北前船の発展からのこと。北前船の船主や船頭さんは必ず加茂の港から降りて善寶寺にお参りしたそうです。

明治の初めに北前船が終わるわけですけど、入れ替わるように漁師が活躍する時代が始まり、北前船の航路がそのまま漁師の航路になったと言います。北海道の豊かな漁場を目指し、本州からたくさんの漁師たちが北に向かうようになりました。その途中で善寳寺にお参りしてお札をいただくと、大漁だとか、無事に帰ってこれるだとかの噂が漁師を中心に広まって、東北一円をはじめ北海道や千葉県の銚子あたりまでの関東、北陸から漁業者の信仰を集めるようになりました。」

善寳寺の境内はおよそ6万5千坪。その中に6つの国指定文化財を含む大小25棟の堂塔伽藍が存在します。けれど元々の善寳寺は小さなお寺でした。現在ある文化財の多くが江戸時代の終わりから明治、昭和初期にかけて漁業者からの寄進を受けて作られたものだそうです。

その中で特に漁業との関わりが深いのが、五重塔です。

「漁業者の寄進を受け、魚鱗一切の供養塔として明治16年に着工し、10年の歳月をかけて建立されました。高さ38mというのは魚の供養塔としては日本最大なんですよ」と篠崎さんが解説してくれました。

総ケヤキ造りの五重塔は、高さもさることながら、その装飾も、ひとつひとつの彫刻が非常に繊細に彫られており、信仰の篤さを物語ります。

ご祈祷を受けた漁師のみに渡す「納め札」

漁師さんの参拝は一般の参拝と異なる部分があるのでしょうか?

「一般の方が主にお正月に参拝されるのに対し、漁師さんはそれぞれの漁業のシーズン前に来ます。イカ釣りは6月、底引き漁の方は8月、これから来るのは鮭。もっと寒くなってからはカニ漁の方が来ます。そんな風に一年を通していらっしゃいますね。
漁業者の方は参拝時にほぼご祈祷を受けて行かれます。その後、お札をもらって、大漁旗を買って帰られます。善寶寺では祈祷の申し込み用紙に船の名前を記入する欄があります。ここを書かれるので、漁業者かどうか見分けがつくんですね。」

実は、船名を記入した方にだけ、通常の木のお札に加えて特別な2枚の紙のお札を渡しているそうです。篠崎さんにお願いして、見せていただきました。

「これが漁業者の方にお渡しする『納め札』、漁船に納められ、操業中に暴風雨、高波、座礁などの海難に遭わないよう、海上安全と大漁満足を祈願するものです。

片方は『大漁祈願』。これは一年間の操業を終えた後の『納め』行事の際、建綱の前方に御神酒・御撰米・塩とともに石の重りをつけ、海上安全·大漁満足に感謝を込め海中に沈められます。豊漁に感謝の意味を込めると同時に、魚類の命への「供養札」ともなります。そしてもう片方は『荒汐退散(あらしおたいさん)』。海が時化てどうしようも無くなった時に海に投げると波が鎮まるというお札です。

この『荒汐退散』のお札については、使ったら本当に波がおさまったとか、海底の岩に網が引っかかって取れない時にお札を投げ入れたらすぐに外れたとか、漁具を落として、探しても出てこない時にこのお札を入れたら出てきたとか、色々なエピソードを伺っています。」

漁船の操業中は天候や海の状況が変化する中で多様な作業を行うため、常に危険が潜んでいます。どんなに熟練の漁師でも、海への畏れを忘れてはならないーーー『荒汐退散』のお札には、そんなメッセージが込められているのかもしれません。