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コラム

江戸時代、飛島のルポルタージュ

2021.01.22

山形県唯一の離島・飛島。県内最北にあるこの島には、今から約6000年前の縄文時代に人が住んでいた形跡が残り、島固有の自然や生きもの、文化が今も息づいています。

「飛島図画(絵)」は、江戸時代・天保年間の飛島のルポルタージュ。庄内藩士の佐藤梅宇(ばいう)が島役人として飛島に赴任した際に制作したとされ、当時の風景や島民の暮らし、神社にまつわる祭礼などが描かれています。

「漁を終えて浜に帰る」

北前船の西廻り航路の寄港地の一つである酒田港は、「西の堺、東の酒田」といわれるほどに栄え、その歴史の上で飛島の勝浦港の存在は欠かすことができません。酒田港は北西の季節風の影響を受けやすいため寄港のタイミングが難しく、また、最上川の河口に位置する河口港であったために水深が変動することから、勝浦港は「風待ち港」の役割を果たしました。多い時で、年400隻もの入港船があったとされています。

暖流の対馬海流と寒流の千島海流がまじわる場所にある飛島は、海の資源に恵まれ、中でもイカはいつの時代も漁獲高の過半数を占め、ほぼ一年中漁が行われていました。スルメが年貢として納められていた記録も残り、いかに(!)イカが島の経済を担う重要な存在であったかがうかがえます。

一家総出のスルメ作り。イカを釣って、下処理をして、干して、と大忙し。

海の資源も豊富ですが、海流や季節風などの影響により多様な植物相も発達しました。寒冷地系植物の「トビシマカンゾウ」は、飛島と佐渡島でのみ見られる希少種の一つ。塩漬けして食用としても親しまれてきましたが、近年は気候の変動などから数が激減し、現在、保全活動が進められています。

「トビシマカンゾウ採り」

日本海と共にある漁村の暮らし。飛島に住む人々は、通年の祭事を通して海上安全や大漁を祈願しました。中村地区の小物忌(おものいみ)神社では、鳥海山頂、7合目の御浜、吹浦の西浜海岸とあわせて一斉にかがり火を焚く「火合わせ」という神事が毎夏行われています。互いの火が見えると大願成就するとの言い伝えがあります。

「中村の小物忌神社(大宮神社)祭礼」

この図画が描かれた頃から現在まで約200年。月日が流れても変わらない暮らしの風景が、今もこの島には残されています。

参考:山形県立博物館『特別展 飛島―自然と文化の宝箱―』(2004)ほか