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コラム

庄内浜に伝わる浜文化
~「魚の素焼き」「出会い物」そしてこれから~

2022.08.22

「食の都」とはつくづく相応しい名をつけたものだと感心している。

庄内はかつて陸の孤島と呼ばれていた。なぜならば我々の魚市場に鮮魚を輸送するトラック便は青森方面、新潟方面、そして仙台方面からも終着だからである。また公共交通機関で言うと鉄道においては今もなお新幹線がつながっていない。そのためか庄内のあらゆる産物(野菜・肉・魚)は他の地域に流通することが少なかった。つまり地のものがここの中だけでのみ食べ継がれていたものが多いと言える。魚においても近年まで漁があればそれをあばが市中で売りまわっていた。しかも年中美味しいものだらけ。まさに「食の都」である。

昔から鶴岡では旬のことを節(しぇづ)と言っていた。庄内は食べ物によって季節を感じることに高い価値を感じる地域であり、最もシンプルな家庭料理「魚の素焼き」は、節で素材そのものが美味しくないと成り立たない食べ方である。ここの人々はなぜ旬を大事にするのか。それは節の食べ物の調理方法が手の込んだものである必要がないことを知っているからである。

「出会い物」という言葉がある。庄内では春はサクラマスが節、

夏はクチボソ、

 

秋はハタハタ、

冬はマダラ

 

というように主役がいて、季節のごちそうには名バイプレイヤーも必ずキャスティングされている。つまりその季節に合わせたかのように野菜も登場する。この魚にこの野菜といったようなものだ。春はニラとサクラマス。夏はきゅうりとモズクやナスとイゲシ。

秋はもってぎくといくらやキノコと秋鮭。冬はあさつきとエゴ、マダラと大根。まだまだあるが、よくもこれだけ揃ったものだ。これもこの土地ならではなのである。

今までこの素晴らしき食文化は、いつまでも永遠に伝え続けられるものだと思っていた。最近までは当たり前のように家庭によって伝承されてきた。そうだあばがいた頃、そして女性が台所に立っていられた頃である。今は男性も女性もほとんどが職業を持っている。

こうなると食文化の継承が難しい。外食・中食産業に委ねるほかはない。

今後この「食の都庄内」の食文化は料理人から作ってもらって飲食店で食べるか、お惣菜としてお店で販売されない限り難しい。庄内独特の「あんかけ」も家庭料理なのに飲食店に行くか、スーパーで買ってしか食べられなくなってきているのだ。

我々の命題は、どのようにしたら後世に残していけるのか地域全体で見つめていかなければならないということだ。レシピや動画でも食文化は伝えられると思うが、「食」は味覚も重要である。この伝わりやすい方法は浅く広く伝えるなら良いが、地域に根差した継続的なものにするには日々の食というものから決して離れてはならない。

となると、われわれ庄内浜文化伝道師の活躍できる場もまだまだありそうだ。

もうイベント中心のその時だけ体験型の食文化継承は難しくなっている。

もちろん否定しているのではない。ただ「食」はいつも私たちの日常にあるものだからだ。

 

 

【株式会社手塚商店 代表取締役社長 手塚太一(庄内浜文化伝道師マイスター)】