私と海
♪海ぃ〜は広ぃな〜大きいな〜と、口ずさみながらよく海に行きます(たまに加山雄三の「海 その愛」♪)。仕入れはもちろんプライベートでも。自分のリフレッシュの場として、ココロの浄化にプラっと海に行き、ボーッとその表情を眺めて帰ります。磯の香り潮の流れ、波の音、浮かぶ磯見船、砂浜と海と雲と空の青とのコントラスト、きらめく太陽。穏やかな凪もあれば、暴風荒れ狂う自然の厳しい表情を見にいく時もあります。お気に入りは、残念ながらゴミも多い「香頭ヶ浜」からの質素でニッチな眺め。
県土の面積に対して海岸線がワーストに短い山形県で、海が庄内地方に集約されていることの立地と、少量多魚種、本当に130種もあるのかな?と疑問に思いますが、四季で表情を変え様々な魚を育むこの海に感謝し、畏敬の念を抱くばかりです。
そんな広く大きな海と対峙している漁師さんと、その海の恵みを私たちに卸してくれる魚屋さん。海なくしては成り立たない生業に従事して二十数年ほど。まだまだわからないことばかりですが、日々変化している気候と海水温の上昇や、その他諸々の海の状況を危惧するとともに、これからの未来を思うと大変不安に思う心情であり、漁場の安定を一番に案じております。
私が小さい頃、何度も親に海水浴やキャンプ、バーベキューなど、潜る楽しさや磯場の危なさを体験するため海に連れて行ってもらっていました。思い起こせばその幼い頃の体験は自分にとって非常に重要で、今でも記憶に鮮明に残っているのが、曇天小雨の日の「磯釣り」も一つ。釣果は隣のまったく知らないおじさんにもらった、黒いゴミ袋いっぱいの小アジやタカバ、草フグなどの山のような小魚たち。それを家に持ち帰ったのはいいものの、全てをしょごできずに余ってしまった翌日の魚の、物凄い生臭い匂いが強烈であったこと。
今は学校行事としては無いようですが、小学校の高学年になるとバスに乗って加茂荒埼の岩場あたりでの「磯釣り遠足」もまた一つ。一人で仕掛けをし、餌を付け、竿を下ろして釣った30センチぐらいあるアブラコ。それがアイナメであることを家に帰って教えてもらい、塩焼きにして食べたこと。そしてその焼魚の脂が美味しかったこと。
私は食育事業や料理教室などで講師として伺うことがあります。その時にお願いするのは、なるべく親子授業であること。またはできるだけ親御さんと子供たちが同じ目線で作業する行程を設けることをお願いします。子は親の鑑であるとは言い切りませんが「親が食べないものは子供も食べない」をモットーに、どうしたらお魚を美味しく食べてもらえるのか、お魚を日々の食卓に乗せてもらえるのか、日常でお魚を調理してもらえるか、魚食推進、魚離れと言われる昨今に一石を投じる活動を微力ながら続けております。
小さい子供たちに、「お魚さんはボクたちと同じで、人も骨がないと立って歩けないように、お魚さんも骨がないと海中で泳げないんだよ〜」と、魚食の普及なのか啓蒙というか洗脳にちかい授業を心がけています 笑。どんな魚も骨はあるものと教えながら、その食べ方をしっかりと伝え、さらにお家で親御さんが食べ方を重複して教えることが肝心と考えます。
手のひらサイズのクチボソガレイは素焼きでヒレだけを食べ、脂の乗ったサクラマスは素焼きで皮だけを食べる。カレイはヒレから、切り身は皮から…そんな食べ方はマナーとして良くありませんが、そこがうまいんだよって食卓に話題が上がるといいなって思います。
最近はカルキスだけじゃなくて、甘鯛やクチボソカレイも匂うし、真鯛(小鯛)もだな〜なんて、何の「コト」か分かる人はとても少ないですし、漁師さんも魚屋さんも知らない方が多いと思います。魚の匂いじゃなく別の匂いが。そういった「コト」も食卓で教わるのであればいいなと…。そしていつも「いただきます」と手を合わせ、食事を作ってくれた人へ、生産者さんへ感謝することもお忘れなく。ま、そんなのは「あたりまえ」のコトですけどね!
春にはサクラマスを、夏には鱸やケンコ岩牡蠣、秋は鮭にハタハタ、アンコウや鱈は冬に間違いなくしっかりと食べられる、四季を通じて彩ある海の環境を、これからもずっと親から子へそして孫世代へ、100年先ではなく1000年、1万年先まで安全で豊かな美味しい庄内浜の魚食文化を残せるように!
さて、明日の天気図と風と波をアプリでチェックしなきゃ。
庄内ざっこ店長 齋藤 亮一